地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、北区の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

北区の地域情報サイト「まいぷれ」

北区の歴史を知る

田端文士村記念館

かつて田端には芥川龍之介、板谷波山、サトウハチローなどの文士、芸術家が多く住んでいました。田端文士村記念館で田端にゆかりのある文士、芸術家たちの暮らしを垣間みる。

現在の常設展館内と扇皿。田端に多くの文士や芸術家が集まっていたからこそ生まれた作品も多く展示

田端文士村記念館は明治から昭和にかけて田端周辺に拠点を構えていた文士、芸術家の足跡、田端の歴史をたどることができる資料館になっています。

田端に芸術家が住み始めたのは明治の半ば頃からでそれまで田端は雑木林や田んぼが多い土地でした。

田端に芸術家が集まり始めたのは現在の東京藝術大学の創立と鉄道の開通をきっかけに上野の学校に近く、交通便の良い田端の地に多くの学生や卒業生などが住み始めたことから。

田端の文士村が最盛期を迎えたのは大正3年に芥川龍之介が、大正5年に室生犀星が住み始めたことがきっかけだった。龍之介の父親が友人から田端の土地を紹介されたことがきっかけで移り住んできた。

その後、室生犀星サトウハチロー、「のらくろ」の作者である田河水泡など田端は芥川龍之介をはじめとした多くの文士や芸術家が集まる街へと変わっていきました。

そして田端に多くの文士、芸術家が集まったことで小杉放庵が画、板谷波山が作陶をした合作の扇皿をはじめ作品を通して文士、芸術家たちの交流が盛んに行われて田端から多くの作品が生まれました。

 

豆知識1

サトウハチローは滝野川第四小学校、室生犀星は田端中学校の校歌を作詞しています。

芥川一家が住んでいた田端の家の復元模型。約193坪の邸宅は昭和20年の空襲で焼失してしまったが、現存する資料をもとに復元されており、龍之介の書斎も忠実に再現されている。


芥川龍之介が後の妻、文への思いを親友で文の叔父に当たる山本喜誉司(きよし)に送った手紙。

「僕が文ちやんを愛してゐると云ふことを少しでも文ちやんに知つて貰へたら」という龍之介の片想いのもどかしい気持ちが見て取れる

豆知識2

上野の「うさぎや」の最中やしるこが好きな”スイーツ男子”だった龍之介。書斎を再現した模型にも再現されています。室生犀星から「これは羊羹を入れなさい」とプレゼントされた九谷の鉢を記念館では所蔵しており、ときおり展示されることがあります。

その後芥川龍之介の自殺や戦中での空襲で焼け野原になったことで文士や芸術家が田端の地を離れていき、田端文士村は廃れていきます。この記念館では田端文士村の歴史を伝えるとともに年に3回企画展を行っており、2月26日から5月6日まで「恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~」というテーマで田端にゆかりのある女性たちに焦点を当て、恋愛事情や夫婦関係を垣間見れる展覧会を開催中。芥川龍之介が後の妻にあてた直筆のラブレターだけでなく女性運動で知られている平塚らいてうがパートナーの奥村博史にあてた手紙(複製)など貴重な資料が多く展示されています。皆さんも田端文士村記念館でかつての足跡を感じてみてはいかがでしょうか。



田端文士村記念館



住所   東京都北区田端6-1-2

アクセス JR田端駅北口より徒歩2分

     都営バス(東43、端44)「田端駅前」停留所徒歩2分北区コミュニティバス(Kバス)田端循環ルート

     停留所6「JR田端駅」すぐ※駐車・駐輪場は、隣接の有料施設をご利用ください。

開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)

休館日  月、祝日の翌日(祝日の翌日が土日場合は翌週火曜日に振替)、年末年始

入館料  無料

TEL   03-5685-5171

FAX   03-5685-5662

オフィシャルサイト https://kitabunka.or.jp/tabata

この記事に関するキーワード

人気のキーワード